死ぬほど可笑しい

2003年6月28日
UMEKの新しいMIXCD『TIME WARP COMPILATION.04』は、これは私なんかの怠惰でコンポのCDを替えることも面倒で、一枚のアルバムをどこもまでも聴き続けなければならない人間にとっては最適のものだと思われます。タフなんです。それはクラブでがっつり踊り倒していた往年の記憶もそのままに、もう腰にくるとかそういった状態は遥か通りすぎて、全身疲労の中で精神だけはますます冷澄になり、己をたぶらかしめる音そのものをまさぐり当てるというような感覚。得も言われぬ感覚。これぞ私が求めているものなんです。じゃ、クラブ行けや。それが、どうしてなかなか。AFXのシングル『SMOJPHACE EP』もいいです。これってガバじゃないですか。は〜踊り狂わされ殺されていた頃が懐かしい。じゃ、クラブ行けや。それが、どうしてなかなか。

クラブには行かずに、舞城王太郎『熊の場所』(講談社)読む。いささか強引な展開に作家の筆力を感じましたけども、それがこの人の魅力なのかな。俺にとっては十分に魅力だけども。水のような映画『ヴァニラ・スカイ』観る。いい映画だ。続いて『ロード・トゥ・パーディション』観る。この大作、ラストのセリフなんか、涙もんだよ。馬鹿くさくて。「死ぬほど可笑しい」

食べ物を恵まれる日

2003年6月27日
食欲もなく、昼食はマクドナルドでハンバーガー2個とつつましく、漫画読みながら食事の時間をやり過ごしていると、隣に座ったお婆さんがこっちを向いてにこにこしている。ひょっとしたら俺じゃなく漫画を覗いて笑っているのかな、と思ったけれども、このとき読んでいた漫画は阿部慎一の『僕はサラ金の星です!』(青林工藝舎)である。それじゃ、やっぱり、俺のこと見ているのだと悟られて、変なお婆さんの方を向くと、「ポテトあげます」と言う。「若い人はもっと食べなきゃ」と。据え膳食わぬは何とやら、ババアの前で男を上げても仕方ないけれども、快くポテトを頂くことにして、こんなもん手で食べたら漫画が汚れちまった。夕方会社に戻ると、上司の土産のせんべい(巨大)余ったから食べていけ、と言われる。俺早く帰りたかったけど、上司も何か話し相手欲しそうだったし、一枚せんべいを食べながら聞いて、それで帰ろうとすると、全部食べろ、と。目の前のせんべいの山にくらくらし、早く帰りたいしで、俺、もうせんべいくわえながら、会社から逃げるように飛び出した、ぽろぽろせんべいこぼしながら歩く男。こんな風景、町田康の小説に出てきた気がして、けものがれ俺らの猿と、か、猿にエサを与えないでください。ん、猿? なんやと!
好きな色は何ですか。ピンクです。それでは、お前の好きなパンツの色もピンクなのかと問われれば、そうだと返事したい。パンチラで。薄暗がりの中でピンク色が明滅するとき、俺は瞬時にさくらに包まれている気分になり、また次のせつなに散ゆく定めと知りて、独唱したい気分となり、湧きあがる想念の句読点となるのである。何故にピンクか。それにはただ黒沢明の必殺ノワール『天国と地獄』でモノクロームの中に煙だけがピンク色に着色されていたことを述べれば、十分である。とにかくピンクなのだ。しかし、よのなかにはピンクでも黒でも赤でも全くパンチラにお目にかからないという無粋な者もいる。そういう者は言う、あのスカートが邪魔だ。然り。その通り、スカートとは我々の前にして重く閉ざされたどん帳だと思う、君は僕の友達だ。友達だから教えよう。幕が開ける瞬間を。それは椅子に腰掛けるミニスカ女子高生が腰を浮かせた一瞬である。この時だけ、スカートは女性の下履きを視線から守る役目を忘れ、弛緩したまま垂れるのである。重力の赴くままに。すかさず靴ヒモを結ぶふりなどして覗けばいい。時には、守られることに慣れ油断し大胆になっている姿を目撃することもあるだろう。こんなことなら何度でもカーテン・コールを。普段、スカートとがっちり手を組み、つけいる隙のないような重力の反逆。私たちにとっての、シモーヌ・ヴェイユにとっての、『重力と恩寵』である。大学ではそんな本を読んで勉強する。早稲田大学に入ってもレイプなんかしないで、もっと勉強してほしい。

不思議なひとだね

2003年6月23日
夕方から会議があった、俺も出席した。夜はライブに行きたく、早く終われ早く終われ、と、『仁義なき闘い・代理戦争』で山守に病床で諭される武田明のごとく、多少寄り眼気味に一点を睨み続けていると、なんと早く終わった。俺には不思議な力がある。そんなことはどうでもよくて、即刻会社を飛び出し、なんだか上司に呼びとめられた気もしたけども、キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン。キャン・ノット。それで、我等が地元、西荻窪はWATTS。DMBQのライブ。ブローイン・マイ・マインド。メイソン・ジョーンズとの驚愕のセッション1時間に及び、あじて〜しょん・ふり〜。冷房の水は漏れるは、増子氏は天井這い回るは、不思議な力使うは、俺も不思議な力で対抗したんだけど、全然かないません。頭がふっとびそう、揺れる揺れる、飛べる、人間だって頑張れば空も飛べる、マジ凄いライブ。今、風呂上りに麦茶飲んでるのが不思議なくらい。そうか、なるほど。
休日の過ごし方。ビデオで『素晴らしき日曜日』漫然と観る。寝そべって殿山泰司の『三文役者の無責任放言録』(角川文庫)を読む。部屋を片付けると、先月の出張費が出てくる。その金で、ジミヘンのDVD『LIVE AT THE FILLMORE EAST』買う。髪を切る。本多劇場で拙者ムニエルの『グッド・アイデアマンズ・ユニーク・アドベンチャー』を観る。酒も飲ませろ。お釣りをくれ。

美容院行ったら、こないだ日記に書いたツェッペリンのライブ盤がかかっていた。美容師さん好きなのかなと思って、ボーナムがソルティドッグ40杯飲んで死んだ話や、日本に来たとき通行人が履いてた下駄を買って、それで新幹線の窓を割った話などをしてあげた。実際よほど昔に聞きかじった話なので間違った情報教えたのかもしれないけど、美容師さん、ほとんど感心なさそうだった。「ボーナムってお茶目なんですね」


●60年代「通キドリ」銀盤紹介?
EPISODE SIX『THE ROOTS OF DEEP PURPLE / THE COMPLETE EPISODE SIX』(SEAQUEL)

気まぐれに紹介します。ディープ・パープルのイアン・ギランが60年代後半いたビート・バンド。とりわけシャウトが激しいわけではなく、むしろビートルズの曲を鼻先で歌ってたり、です。以上です。

午後1時過ぎに起床。こういう時も慌てず走らず押さない、新宿行って、CD買って、エリック・フォン・シュミットの『2nd RIGHT 3rd ROW』、幻の名盤。しかも、こんな暑くて気だるい午後に聴くにはうってつけときてるから、まことに絶妙なタイミングで再発となったものだ。涼しい喫茶店に入り、氷の彫刻のような傑作、三島由起夫の『純白の夜』(角川文庫)を読んだ。そしたらいつのまにか5時になり、俺はやっと会社に行く。「外回りしてました」「おつかれさま!」「この後予定があるので、もう帰ります」「ごくろうさん!」 一点の曇りもない慰労の言葉を背中に受けても、それで甘ったるい悔恨の念を感じるほど、俺はお坊っちゃんじゃないから幸せだ。そんな話をサカナに、友人と酒を交わす。今度は、かさぶた剥がすように告白めいて、だってそれが大人の嗜みってもんだろ。そうじゃねえかよ。ドント・トラスト・オーバー23。
もしかしてキミ、まだしゃがんでパンチラみたりなんかしてるの? ありゃりゃバレバレだよ。やめたほうがいい、ほら、あそこにる屈強な男がさっきからじっとこっちをみてるじゃないか、目つきがだんだん険しくなって。キミだめだよ、もっと頭を使わなきゃ。キミのその手に持っている、重いものがいっぱい入ったカバン、なんて重そうなんだろう。とかく屈辱の多い仕事だよねえ、営業マン。まてまて、怒るな、わかってるから、それでも頑張っているキミに僕は知恵をつけてあげようっていうんだよ。エスカレーター。前にはミニスカのお姉さんがいるね。さあ、カバンをエスカレーターに乗せて、待てッ、1、2、3、よしキミも乗るんだ。それから、ごく自然にカバンに顔を近づけるんだよ、上を向いてごらん。ねえ、キミ、仰角75度が達成されました。ちょっとすごいだろう。やあ、そんな嘆賞をたたえた眼でみつめないでよ。だんだん目つきが険しくなって、あれ、なに、やめてよ、僕を捕まえようって気かい。それならば僕にも考えがあるぞ、キミのこれまでの犯罪全部吐いちゃうからな。僕はなんでも知っているんだから。ふん、いまさら謝っても遅いんだから。え、なに、うん、うん、うん、うん。あはは、そうだったの。なあんだ。僕も冗談のつもりで。だって、そうじゃない、僕とキミとの仲じゃない。よ〜し、じゃあ今度は電車に乗ってフロントパンチラでも見にいくか!

僕と僕との会話。ドストエフスキー『二重人格』(岩波文庫)を読む。身につまされる。それはともかく、レッド・ツェッペリンの3枚組ライブ盤『HOW THE WEST WAS WON』が良過ぎ。座右にレコード・コレクターズを置いて(座右の名著!)、ずっと聴きっぱなしだ。めくるめく、めくるめく、めくるめく、いわく言い難し。名盤。

マトリックス

2003年6月17日
今日もまた無断欠勤してしまった。無断欠勤して寝て見る夢の、その楽しいこと楽しいこと。目が覚める。慌ててまた寝る。目が覚める。また寝る。夢。現実。夢。現実。なにが夢でなにが現実かわからない。……マトリックス。ビデオ借りて『マトリックス』を観る。遅刻が多いと叱られるネオ。彼もまた駄目社会人であった。『ファイトクラブ』もそうだったけど、駄目社会人が裏社会、アナザー・ワールドに導かれるのは我々の時代の一つの願望である。現実では社会に対する責任を求められるが、俺は俺の決めたことだけを守りたい。自分に対する責任だけでいい。そんなことを劇場で誓ったあの頃、俺が駄目社会人になることは薄々気付いていたんだけど、実際就職してみると、その楽しいこと楽しいこと。明日は元気に出社だ。
♪ホワイライト、ほにゃららふにふに〜、ホワイライト、ほにゃららふにふに〜、一日中眠かったもんですから。それというのも、明け方眠れなくて、ビデオで『ハイロー・カントリー』みたためだ。そのまま出社、♪ホワイヒート、ほにゃららふにふに〜、ホワイヒート、ほにゃららふにふに〜。デスクにしがみつき、老人のような顔して虚空を睨む。♪う〜〜う〜ううう〜ホワイライト、う〜〜うう〜〜う〜〜うう〜〜ホワイヒート。わっちゃっちゃ〜わっちゃっちゃ〜、久しぶりに女の子を食事に誘ったよ、浮気。

アカデミズムと芝居

2003年6月15日
ラーズの『LOST LA’S 1984-1986 BREAKLOOSE』とパステルズの『SITTIN’ PRETTY』、本当にいいアルバムだから、こんな曇り空の下でも、実にそれは限りない名盤であるよ。東大教養学部に向かって叫んだ、俺のアカデミーへの色気。こまばアゴラ劇場で五反田団の『逃げろ女の人』観賞。何となく観終わってしまったが、今はデータベースと動物化の時代である。あの小さなスペースで、ストーリーとキャストと場面と観客が有機的で濃密なつながりを持ったとて、それが何か魅力になるかといえば、子供には分からないし、俺はそれを否定する。日常の再現ではなく、日常に持ち込んでも使えるネタ、それこそ欲しかった。それがどういうものであるかは、俺に聞かないで欲しい。きっと動物化って言ってみたかっただけだから。使いかた間違ってでもね。何度言えばわかる、アカデミーへの色気。

俺の顔

2003年6月14日
我が家に電気が通った。ぱっと明るくなった、俺の顔、花咲ける。D・カーネギー『人を動かす』(創元社)を読む。真剣なまなざし、俺の顔。ビデオで『ゴスフォード・パーク』観る。その、俺の顔。画面に反射して、俺の顔、私のこと、見ないで。こわい。見るな。
水曜日、無断欠勤。一日中寝てた。

木曜日、出勤。「昨日は具合が悪く寝てました。腸炎かもしれません」と嘘をついて謝ったら、「たしかに顔色が悪い」と素直に信じてくれて、俺ははじめて顔で得した。夕方、今日も弾丸のように帰ろうとするこの俺に、「ちょっと、エクセルできる?」と仕事を頼まれた、この俺にコンピューターとは。3時間もかかった。俺、腸炎なのに。腸炎だって、朝言ったのに。仕事終わった、と報告すると、飲みに行くだと。部長と二人で飲んでたけど、その後、社長もきて、タクシーで帰れって、俺、腸炎なのに! どれだけ飲ませるのか! すいませんが、社長、部長、もしあなた方、義侠心というものをお持ちならば、腸炎ってどんな病気か教えてくれませんかね? オレ、間違ったこと言ったのかな。帰り際、「あんた、元気だね」って。コノヤロー!ごちそうさま。

金曜日、営業。営業先で、同業者(俺が落ちた会社)の人と話して、誉め殺しあって、勝った! 嬉しくない。駅の中で、挙動不審な女をみかけた。スカートがケツ見えるくらい短かった。その女、ずっときょろきょろしてたんだけど、ついに階段を昇りはじめた。オレは、心というものをどこか遠くに置いて、全身これカメラの目となり、追いかけた。このことは重要である。階段下でもまた、同業者(俺が受けてもいない、会社でもない)を見かけることがよくあるが、気持ちが前に出すぎていて、いけない。風のように。音楽のように。それも聞こえるか聞こえないか、くらいの。そんな足取りで近づいていき、上を向いたんだけど、さすがに今日はびびった。ノーパンだった。頭に焼き付き、離れない。そして、家に帰ると、電気が止められていた。

今日聴いたCD

2003年6月10日
もうすぐマーヴィン・ゲイの『LIVE IN MONTREUX 1980』が終わる。ライナーには赤いジャケット着て、雷に撃たれたような姿勢で、声を張り上げている写真。オーティス・レディングの『LIVE IN EUROPE』のジャケそっくり。頑なに目を閉じる2人の上空には、死兆星がくっきりとその姿を見せていた。夜でも昼でも関係なく輝くその星は、我々の生のしるべとなり、最後には到達すべき、星への道のり。あるいは勝ち星を拾い、あるいは負け星がつく、それが人の生である。人生とは平坦なものではないというのが定説である。むしろ、良かったり悪かったり、のらりくらり投法で9回を投げきって、結果としてつくのが勝敗である。ピッチャーの分業制がさけばれて久しい昨今、往年の大投手を偲ばずには、そんな人生の醍醐味もわかりはしない。野球だ。野球だ。野球を志す若者の、上空にはやはり輝く星。その星を、巨人の星、略して人星とは、もちろん人生のことをいったものである。なんとそれは、雷に撃たれるような、世界の秘訣であろうか。オレンジ色のウサギが跳ね回る、地球の衛星よ。人生のダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン。時間の矢に追われウサギが駈け込む、ねぐら。オレは見てはいけないものを見てしまった。2人は、そんなことを考えて、月の光に背いて、目をつむって、もう死んでいる。

ラップですかッ!

2003年6月9日
なんていうか、メルシー感がたまりません。今日は営業活動も万事快調で、あんまり快調過ぎるのもなんだから、裁量権を行使し昼で切り上げて、『8Mile』観ました。そしたら、これまた、いい映画。メルシーメルシー。なんたって、ラップの映画ですよ〜、そんなの、ぼんくらの日本人にわかるわけがないじゃないですか。わからない、それがよかったり。ラップに限らず、洋楽って、僕も人並みに洋楽好きだったりするんだけど、歌詞がわからないところが、いいんだもんね。だから、日本語のラップって、やっぱり根本的に間違ってるのね。くっだらね〜、とか、あまつさえミュージックステーションなんかに出たりするでしょ、緑黄色人種のラッパーが、で、歌詞の字幕なんかでたりすると、わーーーー、オレもうヤングの仲間になりたくないですッと、思うほどあからさまに恥ずかしい内容じゃないですかッ!や、最近のヤングは恐ろしいですッ!僕らが本当にヤングと呼ばれてた10代中頃、どれだけ「DA・YO・NE」が流行っていても、カラオケで歌おうとするやつはいなかったし、globeを喉も裂けよとばかりに熱唱しても、マーク・パンサーのパートは膝の上にこぶしを握りしめ沈黙する、それが礼儀でありましたッ!今のヤングとカラオケに行けば、みんなラップを上手に嬉しそうに歌うじゃないですかッ!てことは、オレはとうにヤングじゃないんですねッ!サヨナラッ!サヨナラッ!サヨナラッ!せいぜいガガガSPくらいしか歌えない俺はもう卒業ですかッ!オレの第2パンチラもらってくれませんかッ!は〜これだからヤングとは話ができないですッ!言いきり調で言ってみましたけれども。その、なんとなく理解ができない感じは、なんとなく理解できるということで、いいんだよね。予告編で『恋愛写真』やってたけれど、もうね〜、日本人だなあって感じが、予告編だけでよくわかった、先取りして苦笑したくなるよな。僕、ほんとは今日みた映画について、こころゆくまで語りたい感じもあったんだけど、そんなことは言ってはいけない、書かないうちが華。

パンチラの見方

2003年6月8日
オレはパンチラという強迫観念にとりつかれつつあった。街を歩く。誰かに追われているような気がする。ハッと振り向く。パンチラ。パンツがちらり。パンツを目視。目視という言葉はパンチラ業界の専門用語ということらしいのである。鏡を用いず、ビデオで見るのでもない、パンチラ業界以外は自動車学校業界でしかそんな言葉は使わないのである。パンチラの見方。それにはいろんな要素が絡む。?角度(仰角) ?腰の高さ ?スカートの短さ ?外光 ?姿勢 ?開脚度 ?パンツの表面積 ?食いこみ度 ――――おおまかにいっても、これだけのものがある。ちなみに階段パンチラの場合である。それらを漠然と頭に入れて、見上げれば、そう牧童が高山を仰ぐように、ああ見上げれば、俺はパンツを見ていた。いつでも、振り返ればいつでも、オレはパンツを見ていた。そして、気がつけば、俺はしゃがんでいた。詰まるところ、そうなのだった。わずらわしいことを考えずに、しゃがめば見えるのである。覗きこむ、と言った方が早いのかもしれない。しかし、それは犯罪であった。ここに到って、おれはそのことが構成する犯罪性というものにつきあたった。世間は、たとえ鼻水がいっぱい詰まったときに気付かれないようそっと呑みこんでしまう人間は黙認しても、パンツを見るためにおもむろにしゃがみこむような人間を許すことはないのである。ここに高らかに宣言する。人は、オレはパンチラを見ようとする人間を決して許しはしない。覚えておいてくれ。

パンチラみながら読んだ本。結城昌治『罠の中』(集英社文庫) なぎら健壱『酒場漂流記』(ちくま文庫)(名著!)

パンチラの事考えながら見た映画 『野良犬』(名画!)

昔みたい

2003年6月1日
昨日は不思議なくらい読書にのめりこんで、濃密な時間を過したから(しかもベットのうえで)、今日もまた本なんか読んで、一日を送ってしまいそうなのが、嫌で、俺はふらふら街にでた。買い物をして、美術館に入り、『江崎寛友ー海に捧ぐー展』、平板的で実にうさんくさい絵があった。面白くない。やはり、読書だ。喫茶店に入り、田中康夫の『昔みたい』(新潮文庫)、これまた平板的といえば平板的、うさんくさいと言いたければどうぞ、けど、面白かった。昔みたい、俺のベクトルは既に田中康夫を指してるんだけど、昔みたい、悪くないんじゃない。要はどれだけ俺はそこから離れてしまったかだ。

このマゾヒスト!

2003年5月31日
雨なので本日は蟄居。オン・ザ・ベッド。景気良く雨が降りつけていたので、俺も音楽かけて対抗し、そらもう爆音ですよ。で、『WHO’S NEXT』聴いたんだけど、これいいね。デラックス・エディションなるまで、こんな気違いみたいに素晴らしすぎる名盤だとは俺、気づかなかったものですから。更に爆音で。かけながら、読書したりして、山本周五郎の『樅の木は残った』(新潮文庫、上・下)。長い長い小説でありました。もし読書がマラソンのようなものだとするならば、俺は走者に合わせて歩道で自転車とばす野次馬だ。それがどうした。このマゾヒスト! このヌーディスト! そんな本との対話を楽しみながら、実は俺涙流して感動してた。読了して、余韻冷めやらズ。オン・ザ・ベッド。
朝、目が覚めると、もう9時でした。前日、朝9時に会社に顔を出すと宣言してたのに、「実は直行、でした」と会社に電話で報告。果てしなく正直な嘘をつきまして、で、また果てしなく二度寝、とは問屋が下ろさず、そのまま営業に出たのですけれども、炎天下の下、クタバリマシテ、CD買って、ロッテリアで一人鑑賞会しておりました。BRIAN AUGER’S OBLIVION EXPRESSの『SECOND WIND』 カッコイイ音出すんです。久しぶりにこんなかっこいいの聴きました。それで、そろそろ会社に戻ろうか、と思った時、みちゃったんです。パンチラ。我が生涯で最高のパンチラ。ちょっと想像してみて下さい。最高のパンチラ。ねえ、思わず背筋が伸びて、その威光に身動きがとれないじゃありませんか。こうなると、もう一度みたいなんて思って、何度もチャレンジしたのが間違いで、結局日の暮れるまで会社に戻れなかったのです。僕はどちらかといえば馬鹿な方だなあ、昔からそう思ってましたけれども、ここまで馬鹿だと流石に嫌になりました。ふと振り返れば、恥の多い人生でした。

アリーヤに捧ぐ

2003年5月29日
ポマードてからせ、肩で風切って、かみそりみたいだったって。昼過ぎに家出たお兄ちゃん、今日は直行直帰の営業で、明るいうちに風呂はいって、ビールを飲みました。『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』も観たし、充実した一日だったと思ってたら、あビデオ返さなきゃ、またグラスかけて外に出たって、かみそりみたいな男だよ、あんた。こら、馬鹿にするな。これでも、給料くれる会社がある。

もしも

2003年5月28日
もしも君がペコリ人だったなら、や、もしいま君がペコリだったら、それはお腹が減ってるという意味だろう? あるいは。君は何かに対して懺悔している気持ちなのかもしれない。どちらも正しいと思う。君は今、腹を減らしながら頭を下げ、頭を下げては腹を減らし、実はそこには何の関連性もないのだけれども、それでもある程度は、頭を下げつづけていれば、腹も減ることもあるんじゃないか、と思う訳ですよ。でも、それはみっともないことだ。繰り返し言おう、みっともないよ! つい先日、俺はペコリ人を見た。円盤に乗って空から降りてきた。てところまでは覚えてるんだけど、その後6時間ばかり記憶にないから。さっぱりなんだけどね。あ、異物感みたいなのはもちろん体にありますよ。当たり前っちゃあ、当たり前だなあ。しかし、ちょっとおちょくっとるよ、よりによって。頭を下げれば腹が減る。そんな回路埋めこまなくても。情けなくて、しかも腹が減って、また頭を下げて、今3ペコリ。や、厳密には4ペコリ。

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