グラビア研究事始
2003年7月11日DJシャドウのBBCライヴ『diminishing returns』を聴いて、アガサ・クリスティ『オリエント急行殺人事件』(講談社文庫)読んで、アイザック・アシモフ『暗黒青雲のかなたに』(創元推理文庫)読んで、ビデオで『デリカテッセン』観て、『ボーン・アイデンティティ』観て、今週は一日も会社休まなかったよ。
グラビア研究をしようかな、と急に思いまして、『urecco gal』2月号8月号『urecco』4月号6月号を購入。『urecco gal』8月号62ページで、俺はいきなりわかった。
「開帳系」グラビアの隆盛について、俺はただ、男は女の「あそこ」が見たく、現代人が「動物的」になっているからだと、断定的に思っていた。しかしそれにしては、グラビアで「あそこ」は余りに「不可視的」なるものであるし、それを「動物的」にフィードバックしようという試みは不毛と言わざるをえないし、俺には東浩紀の言ってる意味がよくわかんないし、「動物的」って書いてみたかっただけだしで、なんだか圧倒的に俺の認識は間違っている気もしていたのである。
『urecco gal』8月号62ページはTバックをはき、女が開帳して鏡の上に座っている写真である。その鏡には、これまでには成し得なかった角度での股間が映っていた。より、後ろに。「あそこ」を越えて。光明が差した思いがした。開帳系は「あそこ」を目指していたのではなく、肛門にゆきつくのではないか。我々はあそこではなく、肛門がみたかったのではないか。そうに違いない。アナルがみたい。
俺がいきなりわかったというのは、そのことである。
グラビア研究をしようかな、と急に思いまして、『urecco gal』2月号8月号『urecco』4月号6月号を購入。『urecco gal』8月号62ページで、俺はいきなりわかった。
「開帳系」グラビアの隆盛について、俺はただ、男は女の「あそこ」が見たく、現代人が「動物的」になっているからだと、断定的に思っていた。しかしそれにしては、グラビアで「あそこ」は余りに「不可視的」なるものであるし、それを「動物的」にフィードバックしようという試みは不毛と言わざるをえないし、俺には東浩紀の言ってる意味がよくわかんないし、「動物的」って書いてみたかっただけだしで、なんだか圧倒的に俺の認識は間違っている気もしていたのである。
『urecco gal』8月号62ページはTバックをはき、女が開帳して鏡の上に座っている写真である。その鏡には、これまでには成し得なかった角度での股間が映っていた。より、後ろに。「あそこ」を越えて。光明が差した思いがした。開帳系は「あそこ」を目指していたのではなく、肛門にゆきつくのではないか。我々はあそこではなく、肛門がみたかったのではないか。そうに違いない。アナルがみたい。
俺がいきなりわかったというのは、そのことである。
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